先日、バレエとは無縁の友人と話をしていて、「クラシックバレエって言うけど、クラシックじゃないバレエもあるの?」と聞かれました。確かに…バレエに詳しくない人にはわからないですよね。。。
バレエと聞いて、たいていの人が思い浮かべるのが『白鳥の湖』でしょうか?
お笑いのネタなどでも使われることがあったり、たぶんバレエを知らない人でもわかるイメージが白鳥なのかな~と思います。
『白鳥の湖』のように、チュチュを着て、トゥシューズを履いて…というのがまさにクラシックバレエですが、クラシックバレエの中にも種類があったり、その他にもモダンバレエ、コンテンポラリーといったものがバレエのカテゴリーの中にあります。
どのような違いがあるかというと、クラシックバレエは、音楽も振り付けも衣裳も基本的に決まった型ががあり、その型に沿った形で美しさを表現していきます。これに対してモダンバレエやコンテンポラリーは、曲も振り付けも衣裳も自由なので、クラシックバレエの基礎をもとにしながらも、限りなく自由な表現ができるのが特徴です。
こういった違いには、バレエの歴史が大きく関わっているので、歴史に沿ってご説明したいと思います。
クラシックバレエの歴史
踊りは、大昔から世界中でお祝いやお祭りなど、生活の中で折に触れて踊られてきました。日本でも、盆踊りや各地のお祭りで踊られる民舞(ソーラン節・はねこ踊り・阿波踊り・エイサーなどなど…)がまさにそうですね。見て楽しむものではなく、みんなで踊って楽しむものでした。
それが、ダンサーと観客が分かれ舞台芸術としてバレエが起こったのは、イタリアのルネッサンス時代と言われています。この時代のイタリアの貴族やお金持ちは、祝宴でお客様をもてなすために、踊りを見せること始めました。こういった催しは次第に華やかになり、バレエとしての形が出来上がっていきました。特に北イタリアのミラノはバレエの中心地となり、バレエは当時の祝祭での催しものを代表するものになりました。ルネッサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリが舞台装置や衣裳をデザインしたこともあるそうです。なんと贅沢…。そしてバレエはイタリアからヨーロッパ中に広がっていきました。特に、イタリアのメディチ家からフランス王アンリ2世のもとに嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは、イタリアから音楽家や役者やダンサーを連れていき、大がかりなバレエを上演させました。これ以降、バレエの中心はイタリアからフランスへと移っていきました。
フランスの歴史の中で最も偉大な王様といわれるルイ14世は、バレエ好きとしても有名で、国政のかたわら、熱心にバレエの保護・育成に力を注ぎました。自らもたびたびバレエ公演に出演し、最後に演じた役が太陽の役だったことから、「太陽王」と呼ばれるようになったとも言われています。
ルイ14世は1669年にパリにオペラ座を建設、1713年にはプロのバレエダンサーを養成するパリ・オペラ座バレエ学校を創設しました。さらに舞踊の技術的な向上・完成のために、自身のバレエ教師であり、王立舞踊学校の教師でもあったシャルル・ルイ・ボーシャンに、バレエの教則本を作らせました。こうして、今日でもバレエの基本である脚の5つのポジションや舞踊符が確立され、バレエは舞台芸術として体系化されていきました。
18世紀後半にフランス革命が起こると、伝統や権威に反発し自由な神秘的なものを重んじるロマン主義がヨーロッパを席捲し『ロマンティックバレエ』が誕生しました。「ラ・シルフィード」や「ジゼル」のような、妖精や悪魔が登場する幻想的なものやエキゾチックな異国情緒溢れるもの、そしてくるぶし丈のふわっとしたチュチュ(ロマンティックチュチュといいます)を着てポアントで軽やかに踊られるのが特徴です。
フランスではこの後一時バレエが衰退してしまいますが、ロシアで大きく発展することになります。
1738年には現在も有名なワガノワ・バレエ・アカデミーがロシア初の帝室音楽演劇舞踏学校として設立されました。それ以降、ロシアの皇帝たちはバレエを手厚く保護し、ヨーロッパから多くのダンサーや振付師がロシアに訪れ活躍しました。そして1847年、フランスからダンサーで振付家でもあるマリウス・プティパが招かれ、「ファラオの娘」「ドン・キホーテ」「眠れる森の美女」「ライモンダ」などを作りました。またロシアの振付家イワーノフとともに「白鳥の湖」「くるみ割り人形」など現在も大変人気のある全幕バレエの数々を作り、『クラシックバレエ』を確立しました。バレエの技術も飛躍的に発展し、素晴らしい足さばきがよく見えるように、スカート丈の短いクラシックチュチュができました。それにより、さらに跳躍や回転の技術も上がり、華やかなステップが次々と開発されたそうです。しかし、プティパやイワーノフの時代が去ると、ロシアのバレエは勢いを失います。そして、19世紀~20世紀にかけ、バレエは新鮮味のないものの代表のようになってしまいました。
モダンバレエの歴史
ロシアで華やかなグランド・バレエが飽きられていた頃、アメリカでモダン・ダンスの祖といわれるイサドラ・ダンカンが現われました。彼女はクラシックバレエのように窮屈な衣裳や不自然な靴を履くのを否定し、素足でゆるやかない衣裳をまとって踊りました。その踊りは、クラシックバレエのように物語を伝えるのではなく、心の中や情緒を自由に表現するものでした。彼女の踊りに衝撃を受けたロシアのミハイル・フォーキンは、クラシックバレエにはない新しいステップや民族舞踊を採り入れた、革新的な振り付けを発表します。そのモダン・ダンスの要素を取り込んだバレエが『モダンバレエ』です。
その後フォーキンは、セルゲイ・ディアギレフという興行師に見い出され、パリで公演を行いバレエブームを巻き起こします。そしてディアギレフが結成したバレエ・リュスよって、「火の鳥」「ペトリューシュカ」「春の祭典」「牧神の午後」など、現在でも有名な作品が発表されました。
コンテンポラリーとは…
ローザンヌ国際コンクールなどでも踊られるコンテンポラリー。最近では、日本国内のバレエコンクールでもコンテンポラリーの部門があったり、コンテンポラリーのクラスがあるバレエ教室も増えてきました。モダンバレエとごちゃまぜになりがちなコンテンポラリーですが、モダンバレエがクラシックバレエに反発してできたのに対し、新たな表現を求めてクラシックバレエの要素とモダンバレエの要素の両方を採り入れ、20世紀中頃以降にできた抽象的な踊りがコンテンポラリーです。決まったメソッドがあるわけではなく、様々なスタイルが取り入れられるので、とても高度なテクニック・身体能力が必要です。
今、踊られているバレエは…
現在バレエの舞台で観ることができるバレエは、大きく分けて『ロマンティックバレエ』『クラシックバレエ』『モダンバレエ』『コンテンポラリー』ですが、バレエ団によって、得意分野や、どのジャンルの作品が多いかの比重は様々です。
またバレエ教室は、たいていクラシックバレエ教室とモダンバレエ教室に分かれますが、この場合『ロマンティックバレエ』に関しては、古典作品ということで『クラシックバレエ』とまとめて考えられています。さらにクラシックバレエの教室でも、モダンやコンテンポラリーのクラスがあったり、特別にクラスは設けていなくても、モダンやコンテンポラリーの要素を取り入れた作品作りをしている教室もあります。
さて、歴史に沿ってバレエにはどんな種類があるのか…というお話をしてきましたが、アンレーヴではクラシックバレエ(もちろんロマンティックバレエも含みます)のレッスンをしています。ただ、クラシックバレエの基礎や十分な筋力・身体能力が身についているレベルのクラスの生徒達には、コンテンポラリーの作品を振付して発表することもあります。それには、私なりの考えというか、作戦があってのことなのですが…笑笑。それはまたの機会にお話ししようかな…と思います。